文春文庫
台湾の人気作家、呉明益の『自転車泥棒』は、語られることのなかった父の生きた足跡を、その息子らがたどりゆく物語です。ブッカー国際賞候補にもなったこの作品は、主人公である「ぼく」の父が、20年前のある日、自転車に乗ってそのまま失踪してしまうことを発端としています。息子は成人し、小説家になるのですが、ある読者からの質問をきっかけに、父と消えた“あの自転車”について思いを馳せるようになりました。同じ型の自転車を収集するコレクターにもなっていた息子は、古物商の仲間を介し、父とともに消えた自転車の行方を探し始めます。
持ち主やパーツを変えながら存在し続けた自転車の来し方をたどるうち、「ぼく」は人から人へ、さらにその個人の物語へと分け入っていきます。“あの自転車”を中心として広がっていくのは、戦中の台湾、さまざまな家族の歴史、生き物、幻想的な場所など、あまりにも壮大。そして、当人によって語られることのなかった人生が明らかになる様子は、あきらめとも哀しみともつかない、切ない気持ちを呼び起こします。
物語の全編において、心を震わせる豊かな語句に溢れているのも魅力的。収載された著者自身によるイラストも、物語をいっそう味わい深いものにしています。長編を読むたのしみが濃縮された圧巻の物語です。